1980年代は品質や歩留まり競争で日本各社及び装置メーカが台頭する時代である。多くの製造装置が国産化され、日本の得意な全自動化でデバイス、 装置ビジネス共に大きく成長した。一方、大きな成長が日米貿易摩擦のやり玉にあがるなど、その後の苦難の道への入り口でも有った。
1980年代初頭までは等倍のプロジェクションアライナが使われたが、1980年、1984年にニコン、キヤノンが商用ステッパを発売し、 以降ステッパが主流となった。更にその後のステッパの進化によってロードマップに従った微細化が実現されていった。
微細化が進むにつれて等方性プラズマエッチングに代わって異方性プラズマエッチング装置(RIE)が使われ始めた。
微細化の進展とともに拡散深さを浅くする必要が出てきて、従来の熱拡散法による接合形成に代わってイオン注入によって不純物を打ち込み、 その上で熱処理する方式が使われるようになった。
リフロー法に代わって、フォトレジストを塗布した後プラズマエッチング装置で全面をエッチングするエッチバック法に移行していった。 これにより平坦度が向上すると同時にプロセスの低温化が可能となり配線の多層化が進展した。
1980年代微細化が進むにつれてプロセスの低温化が進み、CVDにおいてもプラズマを使ってより低温でSiO2膜や SiN膜が堆積されるようになった。
DARMの集積度が上がるにつれてセルサイズを縮小するため立体セル構造が採用されるようになった。立体セル構造としてトレンチセルとスタックトセル があるが共に1970年代に日本で発明された。スタックトセルを更に微細化する技術としてHSG Poly Si技術も日本で発明された。
シリコンゲート電極の抵抗値を下げるためにシリサイド・ゲートが使われ始めた。CVDではシリサイドの堆積は出来ないので、 スパッタによってシリサイド膜が形成された。
イオン注入技術の発展により、高エネルギーのイオン注入が行えるようになった。これにより各種のウエル形成が可能となり、LSIに多くの性能改善、 向上がもたらされるようになった。