1960年代は米国の模倣時代で、製造は各社の内作装置によるのが主流であった。また、そう言った中で各社の意向を受けた装置メーカが一部の製造装置を提供し始めた時代である。
1960年代に入りシリコントランジスタの製造が始まり、各社は引き上げ装置を内製してCZ法によりシリコン単結晶を作った。またこの頃、日本の金属メーカが単結晶の材料である多結晶の製造販売を開始した。
シリコントランジスタは高濃度(n+またはp+)基板の上に低濃度のエピタキシャル層を形成して作られる。各社はエピタキシャル装置を内製しプロセス条件を最適化して、自社内でエピタキシャル成長を行い、シリコントランジスタを生産した。
シリコントランジスタはプレーナ技術で製作されるが、その為にはシリコン表面を酸化し、その酸化膜に開口を開けてそこから気相による拡散を行ってPN接合を形成する。酸化・拡散のために横型炉が使用された。初期には内製の拡散炉が使われたが、1960年代中期からは国際電気製などの市販品が使われ始めた。
シリコントランジスタや1960年代後半に量産が始まったICでは、電極の引き出しやトランジスタ間の配線にAl薄膜が使われた。Al薄膜の形成には当初抵抗加熱蒸着法が使われていたが、1970年代には電子ビーム蒸着法に移行していった。
シリコントランジスタやICの製造には、酸化膜に開口を開けたりAl薄膜をパターン化したりするためにリソグラフィ(写真蝕刻)技術が使われるようになった。1960年代にはエマルジョンマスクを使ってマスクをウェーハに押し当てて露光するコンタクト方式のリソグラフィが使われた。
1960年代後半になると熱酸化膜の他に、常圧CVD装置によって化学合成によって酸化膜が付着できるようになり、電極・配線上の保護膜として使われ始めた。製造には市販装置や内製装置が使われた。
CVD酸化膜を使って日立はLTP技術、東芝はPCT技術を開発。このような技術により低雑音のトランジスタやICが実現し、日本の民生機器のソリッドステート化が進展した。