1970年代はデバイスが作れるかどうかから、より高度なデバイスを作る為のプロセス技術革新を生んだ時代である。製造装置は多くを輸入に頼っていたが、 超LSI技術研究組合や各社のアドバイスを基に国産装置への移行が起りつつ有った。
ウェーハを平置きしていた常圧CVD装置に代わって、横型拡散炉を使って減圧したプロセスチューブの中で、Poly Siを付ける装置が導入され、 シリコンゲート技術が実現されるようになった。また、減圧CVD装置ではSiNも付けられLOCOS技術にも採用された。
MOSトランジスタの閾値制御やIsolation領域の反転防止のために、中電流のイオン注入装置が使われるようになった。装置メーカとしては、Lintottなどの海外メーカが主流。
高濃度PSGを熱処理して融かすことによって表面をさざ波状に平坦化する技術が採用 された。これによってAl配線が段差で断線することを防止できるようになった。1970年代 末にはPSGにホウ素(B)を添加したBPSGが使われるようになった。
1970年代中頃になるとリソグラフィー技術に進展があり、露光装置はコンタクト方式からプロキシミティ方式に移行するとともに、 マスクはエマルジョンマスクからハードマスクへ、フォトレジストはネガ型から次第にポジ型へ移行していった。装置、材料ではキヤノン、 東京応化、JSRなどの日本メーカが台頭し始めた。
1975年頃蒸着に代わってスパッタによって金属薄膜を堆積する装置が出来て、Al配線の 代わりに接合破壊耐性が強いAl-Siが配線金属として使われるようになった。
シリコンゲートをパターニングするのに当初は薬液が使われていたが、等方性プラズマエッチング装置が使われるようになった。 装置メーカとしては徳田製作所(ケミカルドライエッチング装置)、Tegal社、東京応化があった。
微細化が進み、コンタクト方式やプロキシミティ方式に代わってプロジェクション方式の露光装置が登場した。 Perkin-Elmer社やキヤノンの等倍方式の露光装置が使われ始めた一方、GCA社によってステッパが発売され、 ニコンも超LSI技術研究組合にステッパ試作機を納入。