志村資料室
私は日本半導体歴史館のアドバイザリーボードの一員として開設段階から及ばずながら協力してきたが、今回は何とも晴れがましいことに私の名前を冠した資料室を立ち上げていただくことになった。ミイラ取りがミイラになった思いである。
今、なぜ半導体歴史館なのか、と改めて問い直すと、第二次大戦直後に誕生した半導体産業は60年余の年輪を刻み、草創期はもちろん発展期の出来事や製品までが、人々の記憶を含めて歴史の彼方に消え去ろうとしている。現に、業界の再編や工場の改廃が繰り返されるなかで、当時の技術資料や製品サンプルは予想以上に散逸し、丸ごと消失しているケースも少なくない。昭和初期を通して活躍した俳人、中村草田男は「明治は遠くなりにけり」と詠んだが、今日では「戦後」さえも遠くなった。この資料室がそんな技術資産の空洞化現象を補完できるなら望外の喜びである。
振り返って、日本の半導体産業は米国をお手本にしてスタートしたが、その技術や生産形態を積極的に受け止め、時代時代の節目で、単なる受容を超えた、内発的で創造的な役割を演じてきた。日本が一時的にせよ、米国を凌ぐ半導体生産国なったのは、そうした先人たちの叡智と努力の賜物というほかはない。
幸い、私は一技術ジャーナリストとして、そんな歴史の渦中に身を置き、この目でその実体を確かめてきた。ここには、私が長年にわたって収集してきた写真や技術資料をお目にかけながら、日本の半導体産業の生成と発展のドラマを「人」と「企業」と「技術」を軸にして描き出してみた。全体を通してご覧いただければ、「通史」としてご理解いただけるような配慮もした。
項目の設定や説明文の執筆にあたっては、できるだけ公正・正確さを期したものの、多分に個人的な判断や嗜好が注入していることをお許し頂きたい。また、今回の資料室開設にあたって、多数の方々に改めて資料の提出や事実確認でご協力いただいた。ここに心よりお礼申し上げる。
平成23年9月 志村 幸雄