サブミクロン領域の微細化時代を迎え、デバイスメーカーと装置・材料サプライヤとの協創的開発活動が一層活発になった。米国では独禁法が改正され、超LSI研究組合をモデルとしたSEMATECが発足して製造装置・材料を半導体産業の共通基盤と位置付ける認識が定着した。世界半導体の製造装置・材料の8割以上が日米で供給されるようになった。
10:1の縮小率でスタートしたg線ステッパーは1982年に5:1の縮小率となり、大幅に生産性が向上した。その後も高N.A(開口率)化が進められて解像度が向上され、本格的な縮小投影露光方式の時代を迎えた。
1979年代、g線対応のフォトレジストが開発され、1980年代のg線縮小投影露光方式が確立した。
1984年、光学式に代わる走査型電子顕微鏡(SEM)によるインライン寸法検査装置CD-SEMが開発された。これにより、光学的限界を追及するリソグラフィによる微細加工の高精度寸法計測が可能になった。
1985年、日本半導体製造装置協会(SEAJ)が発足した。
酸化・アニール・LP-CVDなどの工程で使用されていた横型炉が、サブミクロン・プロセスへの移行とともに縦型炉へと置き換わった。成膜均一性向上、微細パーティクルの減少とともに、装置設置面積の縮小、自動化、石英部品の交換頻度低減などによりる生産性の向上が図られた。
半導体の前工程製造においては、ウェーハ露光を除き、洗浄・拡散・成膜・エッチングは複数枚のウェーハを一括処理するバッチ処理装置が主であった。1980年代後半に、エッチング速度を高める 高密度プラズマ・イオン源を採用した枚葉式のエッチング装置が主流になった。
半導体の前工程製造においては、ウェーハ露光を除き、洗浄・拡散・成膜・エッチングは複数枚のウェーハを一括処理するバッチ処理装置が主であった。1980年代後半に、先ずエッチング装置の枚葉化が進み、 更に成膜工程の一部が枚葉化された。これらの工程の枚葉化と共にプロセス・チャンバーのモジュール化が進み、マルチチャンバー型のクラスターツールが普及し、複数工程の連続処理や生産性の向上が図られた。
1987年に設立された米国のSEMATECHでは半導体製造装置の開発に力点が置かれた。これにより1990年代以降の米国半導体産業は製造装置・材料をテクノロジ・プラットフォームとし、デバイス企業は様々な用途を拓くデバイス設計で差別化してゆくビジネスモデルへ移行していくことになった。
フォトレジストの塗布・現像プロセスに使われるコータ・デベロッパーは、1988年、処理室を多段に構成してウェーハをロボットアームで搬送する方式によって高スループット、省スペース化された。
サブミクロン領域のVLSIプロセスとなるWプラグを形成するW-CVD装置が登場した。
198X年、三菱電機は西条工場にロボット・天井搬送システムとFAシステムを用いて完全自動化したファブが初めて実現した。後にSEMI規格が整備され、世界に展開された。