トランジスタに続いてIC生産が立ち上がった。IC製造装置・材料は当初はデバイスメーカーの内製が主であったが、日米でデバイスメーカーからの製造受託によって製造装置・材料メーカーへの技術移転が進んだ。60年代末には製造装置・材料のほとんどが専業メーカーによって製造・販売されるようになり、半導体産業の水平分業化が進んだ。日本ではアライナーなどの一部を米国からの輸入に頼ったが、それ以外のほとんどは国内でのサプライチェーンが整った。
1960年代、トランジスタやIC製造用のSiウェーハを供給する体制が整った。日本ではSiウェーハ専業メーカーが設立され、同時にSiウェーハを作成するための、素材となる多結晶Si、結晶作成のCZ炉、結晶加工用のダイシングソー・洗浄装置のサプライチェーンが確立した。1980年代以降の世界の主要供給国となる礎となった。
Fairchild Semiconductorで開発されたステップ・アンド・リピートカメラは、David Mann(GCA)によって1961年にフォトリピーターとして商用化された。コンタクト露光方式のフォトマスク形成に使用された。
コンタクト露光法用のフォトマスク製造においては、アートワーク(原図)を縮小したレチクルを作成する。この縮小には縮小カメラが用いられた。
1960年代のリソグラフィ用フォトレジストには、Eastman Kodak社のネガ型フォトレジスト(KTFR)が広く使用された。日本では1968年、東京応化がネガ型フォトレジスト(OMR-81)を国産化した。
1960年代、フォトマスクをウェーハに塗布されたフォトレジストに密着させてパターン露光するコンタクト露光方式が使われた。コンタクト露光装置は1965年から市販されるようになった。
1960年代初頭、集積回路製造の歩留向上に環境内の塵埃を低減させるクリーンベンチが不可欠となった。
熱酸化や気相拡散に使われるホットウォール型の横型拡散炉のサプライチェーンが1960年代に確立し、半導体製造に普及した。
トランジスタの電極やICの配線にAlの蒸着膜が使われた。1960年代初めに、抵抗加熱方式の真空蒸着装置や蒸着用材料が販売されるようになり、 サプライチェーンが出来上がった。
1960年にシリコンエピタキシャル成長法が開発された。60年代中頃にはエピタキシャル成長装置や反応ガスが市販されるようになり、 サプライチェーンが整った。
ウェーハスクライバー・ダイボンダー・ワイヤーボンダー・樹脂封止用装置・材料のサプライチェーンが整った。
ウェーハカセットを用いて全自動プロセスを行うカセット・ツー・カセット方式が登場した。
湿式のフォトレジスト剥離を乾式剥離に変えるプラズマアッシャーが登場した。
1968年、フォトマスクのレチクル製作にアートワークに代わるパターンジェネレータが導入された。
イオン注入法は1950年代から研究開発が続けられ、1960年代後半に本格的なイオン注入装置が開発された。1970年代前半のイオン注入法の実用化につながった。