スケーリング則に従う先端プロセスの技術革新が、デバイスメーカーと製造装置・材料サプライヤ間のコラボレーションによって進められた。 特に日本では1976年に超LSI研究組合が発足し、半導体産業の共通基盤となる製造装置・材料の協創的開発が進められた。
1970年にSEMIが発足し、以来、半導体デバイスメーカーと製造装置や材料メーカーとの国際的なサプライ・チェーンの構築・発展に向けた業界団体活動が 進められた。
RCA洗浄が1970年に発表された。RCA洗浄は半導体プロセスにおける標準的な洗浄方式となり、40年以上にわたって世界で広く使われるようになった。
1971年に富士通から減圧CVD(LPCVD)法が発表され、1970年代中頃から減圧CVD装置が製造販売されるようになった。Poly-Si, Si3N4, SiO2等の成膜均一性、段差被覆性が大幅に向上し、半導体の微細化・高集積化に必須となった。
1972年に日立(現日立ハイテクノロジーズ)がFE-SEMを開発した。微小欠陥の低減がLSIの歩留や信頼性を制するので、SEMはLSIのデバイス・プロセスの開発に欠かせないツールとなった。
1973年、全自動のトタンジスタ組立ロボットが開発された。この装置はAWE(Automatic Wire-bonder with Eye)と称され、それまでトランジスターガールとも呼ばれた工場当たり1000人単位を要していた人手作業が自動化された。
コンタクト露光方式から始まったLSIのリソグラフィ技術は、1970年代に入って微細パターンの解像度向上と欠陥密度低減の要請によりプロキシミティ露光方式やプロジェクション露光方式に代わった。さらに自動位置合わせ機構を備えて大幅な生産性向上が図られた。
1970年代後半に、コンタクト露光法に代わってプロキシミティ露光法やプロジェクション露光法がフォトリソグラフィの主流になった。それとともに、コンタクト露光法で使われたネガ型フォトレジストに代わってポジ型フォトレジストが多用されるようになった。
1970年代後半、配線層間絶縁膜やチップの保護膜に有機材料であるポリイミド樹脂が導入された。その後、ポリイミド系樹脂はLSI製造に欠かせない構造材料のひとつとなった。
1974年、シバソクは国産初のリニアICテスターを発売した。国産リニアICテスターの幕開けとなった。
窒化シリコン膜などを成膜するプラズマCVD装置が登場した。これにより、アルミニウム配線形成後の絶縁膜の低温成膜が可能になった。
LSI構造材の加工に、薬液を用いるウェットエッチングに代わり、反応性ガスのプラズマを用いるドライエッチング方式が登場した。終点検出機能を持つ完全自動プラズマエッチング装置が登場し、ドライエッチング方式の普及が始まった。
1978年、日電アネルバ(現キヤノンアネルバ)が反応性イオンエッチング(RIE)装置を開発した。レジストマスクの寸法に忠実な異方性エッチングを可能にした方式で、現在のエッチング方式の主流となった。
1978年、縮小投影露光装置(ステッパー)が登場した。同年、GCA(Geography Corporation of America)が10:1ステッパーの販売を開始した。同年、ニコンも超LSI研究組合に10:1ステッパーを納入した。縮小投影方式のウェーハ露光の幕開けである。
光露光に代わる微細パターン形成の候補として、1970年代から世界で電子線描画方式の開発が進められた。この方式は少量多品種のLSI生産などに使われたものの生産性が低く、汎用LSI生産には不向きであった。 一方、フォトマスクやレチクル製造には光方式によるパターンジェネレータ―では微細化によってパターン数が指数関数的に増加したために生産性に限界が生じ、電子線による高速図形発生が可能な電子線描画方式が不可欠となった。