1990年代
メインフレーム用CPUのCMOS化

~集積回路~



1980年代以降メインフレームの性能向上競争が益々熾烈になり、自社内に先端半導体技術開発組織と製造ラインを持たないアメリカ企業(例えばBurroughs、Honeywell、CDCなど)が次々に競争から脱落し、勝ち残った3社(米国ではIBM、日本では富士通と日立)が高性能メインフレーム市場を巡ってデッドヒートを続けていた。

この3社の1990年発売のモデル(機種)は、期せずしてすべてECLによる水冷式コンピュータであった。0.8ミクロン技術により10k~20k ゲートの集積度、100ps/gateを切るスピード、20~30Wの消費電力のチップを複数のモジュールに高密度実装し、水冷する構造であった。この3社による水冷バイポーラ機は、当時益々増大する大規模なデータを高速でバッチ処理したいという大手銀行等のニーズに応えることが出来、バブル崩壊後の日本経済の中にあっても富士通と日立のメインフレーム事業はまずまずの業績をあげることができた。

しかしコンピュータのダウンサイジング・オープン化という技術潮流の中で、5年後(1995年)に発売予定の機種に用いる半導体技術については、微細加工技術の進歩とCMOSの高速化/高集積化の動向を踏まえながら、バイポーラとCMOSのどちらを選択するかについて社内外で大いに議論が行われた。
(1)0.3ミクロンCMOSの適用によりワンチッププロセッサを実現し大幅な低価格化を図るか、
(2)新しいアイデアを盛り込んだ改良バイポーラ技術(日立の場合はバイポーラとCMOSの
   オンチップ混載技術)によってワンモジュールプロセッサを実現し高性能化と低価格化を
   図るか、
のどちらかの選択を迫られたが、IBMと富士通は前者(CMOSワンチップ)を、日立は後者(改良バイポーラ)を選択した。結果は、後者の改良バイポーラによるワンモジュール技術がCMOSワンチップ技術の3~4倍の高速性能を達成し、価格/性能比でも優れていたため、ハイエンド機市場では圧倒的に顧客に支持され、日立は3~4年の間順調にビジネスを拡大することができた。

しかしIBMは1年ごとにCMOSチップの改良設計(論理回路/方式の改良とチップシュリンク)を行うことによりメインフレームの性能エンハンスを進めた結果、1999年にはバイポーラ機とほぼ同等の性能にまで到達した。これはムーアの法則、別の表現ではスケーリング則に沿ってCMOSの性能向上が図られた結果であり、これ以降はCMOS技術のみがメインフレームに採用されることになった。

この間メインフレーム市場ではハードウェア価格の低下が続いたことからハードウェア単独事業(いわゆるPCMビジネス(Plug Compatible Machineビジネス)自体が困難な時代に入ったこともあり、日立はIBMとの技術提携の道を選択し、CMOSチップを導入することで2000年以降はシステム事業に注力することになった。勿論富士通は今日にいたるまで独自CMOS技術によるメインフレームシステム事業を継続している。

1990年モジュール 1) 1995年モジュール 3)
(ワンモジュールプロセッサ)

【参考文献】
1)小林他、日立評論、vol.73,No2,pp1-128(1991年2月)
2)F.Kobayashi et al.IEEE Trans.on Advanced Packaging,vol.23,No3,pp504-514(Aug.2000)
3)安部他、日立評論、vol.77,No5,pp41-44(1995年5月)


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【最終変更バージョン】
rev.000 2010/12/14