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1993年 フラッシュ内蔵マイコンの製品化 (日立) ~集積回路~ |
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マイコン(MCU)は図1に示すように、演算部(CPU),メモリ部(RAMとROM)および周辺回路などから構成されている。ユーザー・プログラムが内蔵されているのはROM部であるが、その内容を如何に容易に書き換えることができるかが重要である。図1はそのようなROM部の変遷の様子を示すものである。 日立では最初のフラッシュ内蔵マイコンH8-538Fを1993年に市場導入した。この製品は産業・OA分野をターゲットにした16ビットマイコンであり、60KBのフラッシュメモリを内蔵していた。 この技術の重要性に鑑みて1993年に商標登録を行い、F-ZTATマイコンと名づけた。すでに量産化されていたZTATマイコン(Zero Turn Around Time、EPROM内蔵マイコン)ではユーザー・サイドでの書き込みが1回のみ可能であったのに対し、F-ZTATでは何回でも書き換えが可能であったので、フレキシブルの意味をこめてFをつけたものである。 F-ZTATマイコンは最終製品が出荷されたあとでもプログラムの変更が可能であるため、「フィールド・プログラマブル・マイコン」のはしりとなり、ユーザーにとっては大きなメリットとなった。市場ではこれを大歓迎し、需要は急速に拡大した。日立ではこのニーズに応えるため、製品系列を拡大し、8ビット(H8-300,300L),16ビット(H8-300,500)、32ビット(SHマイコン)などへも展開してラインアップの充実をはかり、98年時点では33品種におよんだ。カバーする市場分野も産業・OA機器のみならず、民生機器、情報機器、自動車分野などにも広がっていった。 図2は日立におけるフラッシュマイコンの生産量推移であるが、95年に10万個だったものが96年には400万個、98年には4800万個と急増、2000年には1億個のレベルに達した。 このように急速な立ち上がりカーブはFPGA(フィールド・プログラマブルGA)などの立ち上がりともほぼ同期しており、フィールド・プログラマブル時代の到来を象徴するものであった。この勢いはさらに広がり、2000年代の半ばにはNECエレクトロニクスが「ALL Flash 宣言」と称するキャンペーンをスタートし、フラッシュマイコンは完全に主流の位置を確立したのである。 |
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図3 フラッシュ内蔵マイコン H8-538Fのチップ写真 写真下部が60Kバイトのフラッシュメモリ (写真提供 ルネサスエレクトロニクス) |
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【参考文献】 1) 向井浩文他:「フラッシュメモリ内蔵F-ZTATマイクロコンピュータ」、 日立評論 Vol.76、No.7(1994年7月) 【移動ページ】 集積回路/該当年代へ 【最終変更バージョン】 rev.000 2010/12/9 |