1990年代
DRAMの大容量化と高速化 DRAMビジネスの大転換

〜集積回路〜



1990年代になってもDRAMの大容量化は衰えることなく、4M、16Mの本格量産に続き、64Mが開発された。大容量化を進めるうえで、微細化によるスケーリング則が適用できないメモリセルのレイアウト面積縮小に各社が知恵を絞ることになった。1MDRAMから始まったトレンチ型、スタック型セルの改良が進み、スタック型では容量面積の拡大策としてNECがHSG(Hemisherical Grain)を提案した。HSG は64Mから製品に適用された。やがて、スタック型は円筒型セルにHSGと高誘電率膜の組み合わせに移っていく。スタック型セルはNEC、日立、富士通、三菱電機などに採用された。一方トレンチ型セルは東芝に採用された。トレンチ型も改良が進みアスペクト比は大きくなっていった。また微細化対応の加工技術として、レベンソン位相シフトなどが適用されるようになった。
 電源電圧も微細化によって低下し、外部電圧は5Vから3.3Vに低下、やがてチップ内部で降圧回路が使用されるようになった。

1990年代のDRAMの特徴は、CPUの高速化に対応して転送レートの高速化が進んだことである。それまでファストページモードが主流だったが、EDO(Extended Data Out)が登場し、さらにシンクロナスDRAMへと進化していった。シンクロナスDRAMはNECが提案した方式であり、NECは1993年世界に先駆けてシンクロナスDRAMを発売した。翌1994年には日立もシンクロナスDRAMを発売した。シンクロナスDRAMは64MからDRAMの主流となった。

その後、転送速度がさらに高速なRDRAM(Rambus DRAM)が出現した。1996年、IntelはRambusとライセンス契約を結び次世代PCメモリとしてRDRAMの導入を図ったが、結局RDRAMは主流とはならず、DDR DRAM(Double Data Rate Synchronous DRAM)が主流となった。DDRは2004年頃からDDR2に進化していった。

1990年代のビジネス面での特徴は、韓国メーカが台頭したことである。特に1995年のWindowsブーム後の不況時にサムスン電子が躍進し、DRAMにおける日本メーカのポジションは低下して行った。

図 汎用DRAM製品のメモリセル構造1)

【参考文献】
1) 角南英夫氏ホームページ(2010年10月時点)
http://www.suna.cc/business/trench/index.html


【移動ページ】
集積回路/該当年代へ


【最終変更バージョン】
rev.001 2010/10/16