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黎明期の人々 |
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塚本哲男 (つかもと てつお) |
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1922年(大正11年) 生 (台湾) 1944年(昭和19年) 大阪帝国大学理学部物理学科卒業 1946年(昭和21年) 東京通信工業に入社。 1954年(昭和29年) トランジスタラジオ用グローントランジスタの結晶製造を担当。 1964年(昭和39年) ソニー厚木工場副長。 1971年(昭和46年) ソニー中央研究所副所長 1976年(昭和51年) ソニー学園湘北短期大学学長 2000年(昭和55年) ソニーを定年退職 「ゲルマニュームグローン型トランジスタのリン導入の経過説明」 東京通信工業は昭和29年4月岩間和男が米国から帰ってトランジスタラジに向けての高周波用トランジスタをグローン型でやることを決定。塚本哲夫はその担当となった。結晶引き上げ装置が設計製作され、直ちにトランジスタの生産が始まった。そして昭和30年8月にはトランジスタラジオTR55が発売された。 しかし、局部発振用のトランジスタの収率は悪く、ラジオは順調に生産販売が伸びても半導体は収率改善のために苦しんだ。塚本哲夫はエミッタ材料として5属で一番原子番号の小さいリンを使ってみようとして実験を試みた。出来上がったトランジスタは素晴らしい出来栄えで高周波特性もその歩留まりも良かった。これはゲルマニューム中のリンの拡散係数がアンチモンよりずっと低いことによっていた。 これで行こうと生産を切り替えたが、今度は歩留まり零が続き、会社は苦境に立たされた。塚本哲夫は江崎玲追於奈にトランジスタの調査を依頼し、江崎玲於奈はPN接合の順方向トンネル現象を発見した。同時にこの問題の解決法はリンの濃度の適正化であることが分かった。塚本哲夫はそのためにインジウムリンという化合物半導体を溶融ゲルマニュームに投入することを思い立ち実験が成功した。インジウムは偏析によってトランジスタ部分には入らないのであった。投入するインジウムリンの正確な評量が鍵であった。これは昭和32年春のことで、ソニーはトランジスタラジオで優位に立つことが出来た。 |
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