黎明期の人々

武井忠之
(たけいただゆき)


1910年(明治43年)生(東京都)
1933年(昭和 8年)東京商科大学(現、一ツ橋大学)卒業、若林商店入社
1937年(昭和12年)日立製作所入社、
1954年(昭和29年)通信事業部電子管部長
1962年(昭和37年)電子部品事業部長
1969年(昭和44年)常務取締役電子事業本部長
1972年(昭和47年)日立機電工業社長就任
1980年(昭和55年)勲四等旭日小授章授章

日本においてトランジスタの量産が立ち上がり始めた1950年代から日立半導体グループの販売の先頭に立ち、日本のトップメーカーに引き上げた。常に「市場オリエント」のコンセプトを重視し、新しい市場が開けるたびに開発、量産、販売面でリーダーシップを発揮した。FMラジオ用のドット・メサ・トランジスタ、オール半導体のカラーテレビ(愛称「ポンパ」)用の超高周波トランジスタやパワー・トランジスタ、さらには電卓用LSIなどで日立が先行し、高い市場シェアを獲得したのは同氏の経営手腕によるところが大きい。

半導体業界の代表として、当時の通産省との官民連携の中核の役割を果たし、日本半導体の振興に大きな貢献をした。人物は豪放磊落、人情にあふれ、また時には厳しい一面ものぞかせて後進の指導にあたり、有為な人材を数多く育成した。社内のみならず多くの人に慕われながら96歳の長寿を全うした。


【参考文献】


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【最終変更バージョン】
ver000 2010/10/12

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