黎明期の人々

大内淳義
(おおうちあつよし)


1919年(大正8年)生(東京都)
1942年(昭和17年) 東京帝国大学工学部卒業、日本電気(NEC)入社
1966年(昭和41年) 集積回路設計本部長
1968年(昭和43年) 集積回路事業部長
1975年(昭和50年) 超LSI開発本部長
1980年(昭和55年) 副社長
1984年(昭和59年) 副会長、藍綬褒章受賞
1988年(昭和63年) 会長
1989年(平成 元年) 勲二等瑞宝章受賞

国内外で「ミスターIC」と呼ばれたように、IC時代の幕開けと同時に頭角を現し、NECはもとより日本のIC産業を世界の頂点にのし上げた功労者。

大内淳義はもともと電子応用事業部で医用電子部長を務めるなど半導体ユーザー部門で開発業務に従事していたが、1966年に集積回路事業グループが誕生するや設計本部長に抜擢され、68年に集積回路事業部長に就任している。当時、事業部名に「IC」を使った会社はなく、電卓および計算機向け市場の急拡大を追い風にしてNECを日本はもとより世界のトップ企業に育て上げた。

MOSメモリ市場への対応も的確で、先行のインテル社がPMOSで進出したのに対し、高速のNMOSで対抗、結局標準仕様とした。マイコン事業の育成にも寄与し、マイコンキット「TK−80」を超人気商品に育成した。

半導体市場における「日米逆転」は通商摩擦、技術摩擦の火種と化したが、日本側のリーダーとして米国半導体工業会などと激しく渡り合った話は有名。


【参考文献】


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【最終変更バージョン】
ver000 2010/12/1

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