1975年
PGAの開発(世界初)
〜パッケージング〜



DIL型パッケージでピン数は42ピン、64ピンと拡大させたがパッケージ形状が大きくなりプリント基板への実装効率の悪いパッケージになっていった。

そこで、DIL型に替わりプリント基板への実装効率の高い52ピンPGA(Pin Grid Array)型パッケージが1975年頃日立製作所武蔵工場で開発され、大型計算機用論理素子に採用された。シームウエルド封止型で、リードピンはアルミナセラミック基板でグリーンシートにプレス成型穴開けメタライズ後1600℃の温度で焼成後、釘状リードピンをセラミック穴に銀蝋付けした。

1985年頃には日立製作所で240ピンPGAへとピン数が拡大して行った。パッケージ内の配線は導体メタライズしてフォトプロセスでパターン形成し多ピン配置が実現した。封止は、低融点ガラスが用いられた。

その後配線層が2層や3層となったり、PGAは多端子LSIの標準パッケージになっていった。1980年末には、電導度の高い銅配線を使う樹脂型基板が使われるようになった。

52ピンPGA 240ピンPGA


【参考文献】
 曽我政弘他;「HITAC M-170/M-180処理装置」日立評論Vol.57, No.9(1975−9)
   http://www.hitachihyoron.com/jp/pdf/1975/09/1975_09_10.pdf
 小林二三幸;「HITAC M680H/682Hのハードウエア技術」日立評論Vol.67 No.12(1985−12)
   http://www.hitachihyoron.com/jp/pdf/1985/12/1985_12_14.pdf


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【最終変更バージョン】
2015/6/5