1984年
日本の半導体需要は前年比150%の高成長を記録。
VTR、ゲーム等民生機器,16ビットPC向けDRAMの
好調で日系メーカのシェア拡大
〜業界動向〜


1980年台になり日本の半導体生産は大きく伸び始め、生産でも1983年にはついに1兆円を超え、1984年には空前の半導体好況で前年比150%を超える大幅な成長を遂げた。(図1)

この時期、日本の半導体を支えたのは、国内で従来の民生機器に加え、情報分野、OA分野等での新たな需要が増加した時期にあたること、さらに半導体製品でも64MDRAMで日系メーカが圧倒的なシェアを獲得し世界の供給基地となったことが大きな要因である。

民生機器ではテレビ、VTR等が好調であったことに加え新たにCD等の新しいメディア機器が出現した。この中で大きな需要分野であるカラーテレビは国内の普及率は既に限界にあったが輸出を中心に日本の国内生産規模は1985年に1700万台と過去最高となった。VTRは1970年代ではβ方式とVHS方式の2方式であったが、1980年代前半にはVHSが優勢となり、松下電器が1982年に15万円を切った普及モデルの発売、1985年には10万円モデルの発売で本格的な普及が始まり生産では1980年500万台であったが1年には3100万台に拡大した。1982年にはCDプレーヤーが市場に導入され1984年にはソニーにより5万円を切るポータブルCDプレーヤーが市場化されたことにより普及に拍車がかかった。またウォークマン(1979年商品化)の世界的なブーム、オーディオミニコンポの登場(1980年初頭)等に見られるように、新たなオーディオ機器やメディアが本格的な普及期を迎えた。さらに1981年には任天堂がファミコンを商品化し家庭用テレビゲームという新たな市場が立ち上がりROMをはじめとする半導体の新たな需要が立ち上がった。

一方IBMがPCを発売、当初2年間で50万台の売り上げを記録し、日系メーカもPC互換機に相次いで参入しDRAMのパソコン向け需要が急増した。またオフィス機器では日本では特にオフコンの普及が当初より盛んであり、さらに1982年には東芝が50万円台の業務用ワープロを発売、業務用FAXやPPC等の機器が導入されオフィスオートメーション(OA)という新たな概念とともに急速に普及していった。

更に産業分野でもシーケンサーやプログラマブルコントローラー等ファクトリーオートメーション(FA)が急速に立ち上がり、通信分野でも1982年電電公社によるデジタル交換機(D60)の運用開始等での交換機のデジタル化、ISDNの普及等に代表されるように通信産業分野でも新たな動きが始まった年代でもあった。

このような状況下1980年代前半の日本の半導体は好調な機器生産に支えられ従来からのアナログIC、ロジック、単体等の需要も好調に推移したが、特にメモリでは日本製16KDRAMでの品質の優位性が米系顧客にも高く評価され1981年には世界の40%のシェアを日本製DRAMが占めるに至った。さらに64KDRAMについては、コンピュータメインフレームに加え、IBMのPC向け需要が大きく寄与し需要は大きく拡大したが、この中で日本製64KDRAMシェアは1985年には約70%を超え、これが1984年1985年の日本半導体生産の急拡大に大きく貢献した。(図3)

このように1980年代前半は民生機器においてはオーディオビジュアル(AV)機器の出現、家庭用ゲーム機器の本格普及、情報分野ではPCの本格導入を元とするOA化の始まりに加え、通信・産業分野での新たな動きが生まれ、幅広い分野での半導体需要が拡大した時期でもあった(図2)

図1日本半導体生産額(1979年〜1987年)
図2 日本の半導体生産(ICでの製品別構成比)
資料:通産省機械統計より作成
1984年はDRAMの急増が大きい。
一方で1980年代前半全体ではメモリ、アナログ、ディスクリートが生産の柱
図3 日米DRAM出荷シェア推移
資料:『ICガイドブック200年』 (社)電子情報産業技術協会より作成


【参考文献】
 1) 『ICガイドブック(2010年版)』 (社)電子情報産業技術協会
 2) 『今月のトピックスNo.088』日本製策投資銀行 2005年4月21日
 3) 『DRAM市場における日本企業の競争力分析』上田智久 立命館経営学 2005年3月


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【最終変更バージョン】
rev.000 2010/10/24