1985年8月
日米政府間での半導体問題協議が開始され、
1986年9月「日米半導体協定締結」
〜業界動向〜


1985年6月米国半導体工業会(SIA)が日本製DRAMに対し通商法301条(不公正貿易慣行への対抗措置)に基づき通商代表部(USTR)に対しダンピング提訴を行った。 また同時にMicron等のDRAMダンピング訴訟が起こったが、米国当局の調査結果がクロとなったことにより日米政府間の交渉により「ダンピング防止スキーム」が協議されることになった。この中で米国は日本政府によるダンピング防止措置の実施を要求するとともに、日本国内市場が外国製半導体に対し不当に閉鎖的で自由競争が阻害されていることを理由に国内市場を開放し外国製半導体シェアを上げることを要求してきた。

1年間の両国政府の協議の末、1986年9月に第1次日米半導体協定が結ばれた(1986年9月〜1991年7月)。この協定では(1)日本市場へのアクセス改善、(2)ダンピングの防止、(3)アメリカ政府はアンチダンピングの調査を中止することの3点が合意されたが、特に(1)(2)では「外国製半導体購入拡大の勧奨」「日本製半導体のコスト、販売データの開示を前提とした米国政府による構成販売価格の決定」が含まれていた。

外国製半導体購入拡大に対しては、欧米半導体メーカが日本国内の電子機器メーカへの販売を促進するための機関として「半導体国際交流センター(INSEC:International Semiconductor Cooperation Center)」が1987年3月に設置され、さらにこれをコーディネートするため「外国系半導体ユーザー協会(UCOM: User’s Committee of Foreign Semiconductor)」が1988年5月に設立されるとともに11月には「外国系半導体商社協会(DAFS: Distribution Association of Foreign Semiconductor)」も設立された。この間1987年3月には米国政府より「日本が半導体協定を遵守していない」ことを理由に、通商法301条に基づく制裁措置が発表され半導体以外の特定の電気製品(パソコン、カラーTV、電動工具)への100%の報復関税賦課が発表され大統領と日本の首相のトップ会談で半導体問題が協議され、この結果日本は官民一体となり協定遵守をしていくことが確認された。

同時に協定の中に盛り込まれた「日本製半導体のコスト、販売データの開示を前提とした米国政府による構成販売価格の決定」については米国商務省が日本半導体メーカのDRAM製造原価を調査し、輸出価格を原価以上になるように規制するもので、これはFMV(Fair Market Value)と呼ばれた。このFMVは副次的な効果としてDRAM価格の下支えをする効果もあったが、一方で本来コスト上変わりがなくても各社の原価計算の方法の差がFMVに反映するケースや新規の設備投資の初期の立ち上げ時の原価アップ分がFMVに直接反映し販売価格が制約され売れなくなるケースなど、日系メーカにとっては大きな制約条件となった。


【参考文献】
『一国の盛衰は半導体にあり』牧本次生 工業調査会
『岐路に立つ半導体産業』 佐野昌 日刊工業新聞社
『ICガイドブック(2009年版)』 (社)電子情報技術産業協会


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【最終変更バージョン】
rev.000 2010/10/15