1998年
DRAMシェアで韓国メーカが日本メーカを逆転
〜業界動向〜


韓国半導体産業は1980年代後半以降、世界半導体市場に本格的に参入し、1990年代に入り韓国半導体メーカはメモリーを中心に着実に発展を遂げて来た。この要因として(1)1990年代半ばまで続いた日米半導体協定、円高による日本メーカの競争力の低下、製造ノウハウの蓄積された製造装置の出現等の外部要因が上げられる。(2)また一方で1983年以降韓国政府の産業政策として半導体技術開発に重点が置かれたことも大きい。1986年から始まった4MDRAMの開発、さらに1990年には半導体基盤技術開発としてG7プロジェクト、256MDRAMの共同開発に至るまで政府と半導体メーカとの共同開発を政府が財政支援も含め強力に推進してきた。この結果、例えばSamsungのDRAMのコマーシャルサンプル、量産立ち上げ時期で日本メーカと比較すると、1MDRAMでは15ヶ月遅れであったものが、4MDRAMでも約6ヶ月 16MDRAMでは殆んど同時期にまでその差は縮小し、更に64MDRAMでは日系メーカに先行するに至った。さらに(3)1997年の通貨・経済危機の深刻な打撃を経て、政府主導の下で半導体産業の再編成が行われたことにより一社の事業基盤が強化され半導体メーカがDRAMへの集中的な投資を行うことができたことも要因の一つである。

図1 世界のDRAM生産シェア
出典 : (1)技術発展と半導体産業より作成

注)G7プロジェクト:「2000年代科学技術先進7カ国水準参入」を目標とし産・官・学が共同参加する半導体先端技術開発事業で1991年から2001年の間に11の課題に取り組んだ。


【参考文献】
  (1)技術発展と半導体産業 宗娘沃 文理閣 2005年7月
  (2)岐路に立つ半導体産業 佐野昌 日経新聞社 2009年1月
  (3)韓国半導体産業の技術発展 吉岡英美 2005年11月


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【最終変更バージョン】
rev.000 2010/10/15