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1947年〜1950年代前半 トランジスタの発明と半導体産業の始まり 〜業界動向〜 |
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1947年12月、AT&Tベル研究所(BTL; Bell Telephone Laboratories)において点接触型トランジスタが発明され、1948年1月には接合型トランジスタが発明された。[1] BTL研究部長であったMarvin Kellyが1936年ごろに企画した、電話交換機用の金属接点式リレーに代わる電子スイッチングデバイスの開発プロジェクトの成果である。[2] トランジスタは増幅作用を使った低電力・長寿命の小型・低コストの電子スイッチであり、真空管による電子産業のパラダイムを変える画期となった。 この発明後、BTLとAT&T傘下のウェスタン・エレクトリックはトランジスタの実用化を開始し、1952年に接合型トランジスタが製品化された。半導体産業の始動であった。トランジスタの発明は1948年6月に発表され、世界各地でトランジスタの研究が始まった。日本にもGHQを通じてこの発明の情報が伝わり、電気試験所や東北大学などで研究が始まった。トランジスタの原理的な動作はBTLの学術論文から次第に明らかになってきたが、実用化技術の詳細は機密にされた。しかし、ベル研究所所長になったM. Kellyはトランジスタの更なる発展にはベル研究所で閉じずに多様なアクティヴィティが活きるオープンな開発環境に拡げるべきとして特許公開に踏み切った。そして公開に反対する国防総省との調整の末、1951年からシンポジウムによる情報公開と、米国内外の企業へのライセンス契約($25,000)による関連特許と製造技術の公開を開始した。1952年までのライセシーは米国企業26社、海外企業14社に達した。BTLの技術・特許の公開は産声をあげた半導体産業を急速に発展拡大させたといえる。 日本企業ではソニー(当時の東京通信工業)が1953年このライセンス契約を結び[3]、1955年のトランジスタラジオの開発[4]につながった。日本の総合電機各社も、RCAやGEなどのBTLライセンシー企業との技術提携を行いながら、相次いでトランジスタの事業に参入した。日本は1958年にゲルマニウムトランジスタ生産量で世界一となり、1960年にはシリコンを含むトランジスタの世界一の生産国となった。 |
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【参考文献】 1. 日本半導体歴史館 個別半導体他 1940年代 1947年:点接触トランジスタ発明(BTL) 2.W. Shockley “The Path to the Conception of the Junction Transistor” IEEE DE-23 (1976) 3.ソニーグループポータル | Sony History 4.日本半導体歴史館 応用製品 1950年代 1955年8月:日本初のトランジスタラジオ(TR-55)の発売(ソニー) 【移動ページ】 業界動向/該当年代へ 【最終変更バージョン】 rev.005 2024/10/21 |