「自分は科学者ではなく技術者だ」

 
写真A(左) 日本での最後の記者会見で話すKilby氏  写真B(右) その際配布された記念切手。

 J.Kilby氏と会った最後の機会は、2000年9月29日、東京都内での記者会見だった。短いコメントがあって質疑応答に入ったので、私がはじめに「久しぶりの訪日で印象に残った出来事は何か」と問うと、氏は「成田空港で小中学生までが携帯電話を片手に話をしているのを見て、それがごく自然であることに感銘を受けた。池に小石を投げると水面に波紋を広げるが、その波及の度合いが発明者の予想を超えていたということだ」と例の訥々とした口調で答えた。
 その時点では、まさかその10日あまり後にKilby氏自身がノーベル物理学賞受賞者になるなどとは想像だにしなかった。私は25年前のインタビューの際にその可能性をご本人にただしたが、しかるべき返答は得られなかった。IC自体はトランジスタを集積したものにすぎず、そこには物理学上の新しい知見は認められない。そんな見方が学界にも産業界にもかなり定着していたし、Kilby氏自身も多分にそう思っていたフシがある。
 そんな思い込みが覆って幸運の女神が微笑んだのは、ICの発見がもたらした社会的影響があまりにも大きく、ノーベル賞委員会が「20世紀最後の年の受賞」を演出したからではないか。
 普段から朴訥さをもって認ずる氏は、受賞の報に接して、「ノーベル賞受賞は最高の名誉です。受賞の知らせをいただいた時、大変驚き、感謝しました」と言葉少なにコメントしている。
 思えばKilby氏は「自分は科学者ではなく技術者だ」と口癖のように言っていた。科学者でなく技術者に物理学賞が与えられたのは、その技術的成果のインパクトが科学の世界にも及んだということか。
 氏は受賞後5年目の2005年6月20日、テキサス州ダラスで亡くなった。享年81歳。
 写真Aは日本での最後の記者会見で話すKilby氏、写真Bはその際配布された記念切手。

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