Kilby 氏へのロング・インタビュー
Kilby 氏にインタビューする志村
J.Kilby 氏へのインタビューは、日本TIの特別の配慮で延々2時間にわたって行われ、「電子材料」の1985年5月号の誌面を飾った。以下に注目されるQ
& Aを抜萃する(写真はKilby 氏にインタビューする志村)。
Q:ICの発想を先取りしたものに英王立レーダー研究所のダマーの構想があるが・・・・・・・。
A:彼の構想は増幅幅や整流層を三次元的に積層し相互接続したもので、1枚の平坦な基板にすべてのコンポーネントを集積するICとは根本的に違う。
Q:ICを着想したのは正確にいつか。
A:1958年7月8日だ。
Q:IntelのR.Noyce 氏とはIC特許をめぐる紛争が長引いたが・・・・・・・。
A:Noyce氏はいくつかの発明をしたと主張しているが、特許当局が認めた点は、メタル接続の部分、特に酸化膜に密着している部分だ。特許庁は結局、私の特許内容、記述が適切であるとして私の権利を認めた。いずれにせよ、私の仕事は1958年7月に文書化されているし、Noyce
氏のそれは1959年になってからだ。
Q:Kilby-IC と Noyce-IC は補完的関係にあると見るべきか。
A:今日のICは1人や2人によってつくられたのではなく、数千人にのぼる素晴らしい技術者たちの貢献によってつくられた。
Q:TIが当初「ソリッド・サーキット」という名称で発表したのは?
A:その理由は定かではないが、米国ではICが出現する以前から「ソリッドステート・コンファレンス」が開かれてた。セミコンダクター・ネットワークといった呼称もあったが、いずれも棄たれて残っていない。
Q:トランジスタ発明のBBSトリオは発明報酬が1ドルといっているが・・・・・・・。
A:TIにも同じ慣行があって、私も1ドルだった(笑)。
Q:日本の半導体産業をどうみるか?
A:半導体の世界でもう1つの競争相手が現れる必要はないと思っていたが、日本がそうなった。日本人は非常に有能で、技術も素晴らしく、手強い相手と思っている。