シリコン産業の生みの親「ワンパクさん」
新日本窒素肥料(後のチッソ電子化学)の前田一博氏
日本の半導体シリコン産業が今日なお質、量の両面で世界市場の最前列にあることは誰しも認めるところである。その草創期の最大の貢献者が新日本窒素肥料(後のチッソ電子化学)にあって工業化のパイオニア的役割を果たした前田一博氏である。写真に示すような風貌や行動力から「カズヒロ」変じて「ワンパク」と親しまれた。
氏がこの事業に着手したのは、1950年代半ば、当時の井深大ソニー社長から「シリコンは大切だから、将来を見越してぜひ国産化してほしい」と懇願されたのがきっかけ。56年にパイロットプラントの運転開始、59年には商業ベースでの生産を開始している。
といっても当時のシリコンウエハー径はCZ法で25〜28mm、FZ法で22〜25mm程度。シリコン中の不純物の測定法ひとつとっても基準がないから、会社が違えばデータも違う。これでは困るというので日本電子工業振興協会にシリコン技術専門委員会をつくって測定法の基準を決めた。
加えてユーザーニーズが結晶の直径から電気伝導度、比抵抗、転位密度、ライフタイムに至るまで千差万別なのにも苦労した。前田氏は私のインタビューに答えて、「ユーザーの家風に従えば原価高になり、痛し痒しだった」と嘆いている。
(前田眞木子氏提供)