その名は「テアトル東芝」

  
東芝のトランジスタ工場 

 対する東芝のトランジスタづくりは東京の下町から始まった。犬塚英夫氏(後に総合研究所次長)らが東京・深川の砂町工場を拠点にしながらゲルマニウム単結晶の引き上げやデバイスの試作に取り組んだからだ。この工場はかつての砂糖工場を改造したもので、お世辞にも半導体向きとはいえなかった。それでも乏しい予算をやりくりしながら、当時としては上等のクリーンルームを設置している。
 その東芝も1956年12月には横須賀工場でゲルマニウムダイオードの量産を開始、さらに2年後の58年5月には川崎市小向にトランジスタ工場(後の多摩川工場)を完成し、月産120万個体制を確立している。
 この新工場は空調のため窓なしの構造になっており、都心の映画館名になぞらえて「テアトル東芝」などと呼ばれた。私はたまたま、終業時にどっと工場の門から出てきた、これまた俗称のトランジスタ・ガールに出くわしたことがあるが、まさに映画館がはねた時の情景かと見間違えたものだ。
 写真は1959年当時のトランジスタ工場外観。   (東芝提供)

| 前の記事へ戻る |  | 頁トップに戻る |  | 次の記事へ | |第T部一覧へ