日立武蔵の原点は「かまぼこ兵舎」
「かまぼこ兵舎」と呼ばれた日立中央研究所のトランジスタ研究棟
「日立武蔵」といえば女子バレーボールの覇者として世界にその名を轟かせたが、本来の半導体事業にしても世界1、2位を争う実力企業だったのである。
もちろん、ローマは一日にして成らず、である。同社の半導体部門立ち上げを研究サイドからサポートした伴野正美氏(後に半導体事業本部長、日立電子エンジニアリング社長)によれば、1951年に中央研究所で「トランジスタの研究」というテーマを掲げて研究を開始しようとしたところ、「重電メーカーでそんな小さな部品の研究をしても始まらない」と一部幹部の反対に遭った。それではということで、「特殊半導体の研究」という題目に切り替えて、ようやく研究が始まった。
その日立でも53年に入るとトランジスタの研究が正式なテーマとして取り上げられ、ゲルマニウム単結晶の引き上げ、それを用いた点接触型の試作に取り組んでいる。
そんな最先端の開発が写真に示す「かまぼこ兵舎」と呼ばれる建屋で行われたことは興味深い。というのも同社では53年秋、「トランジスタのような構造敏感なものをつくるには木造の建物じゃいかん」と東京・国分寺の中央研究所の構内に鉄筋コンクリート2階建てで空調、無塵室付きの21号館を完成している。しかし、ラジオ用の需要が増え続けるなかで建屋が手狭になり、57年秋、従来の2階建て建屋の屋上にかまぼこ型の屋根を載せ、3階建てに衣替えした。
当時トランジスタ部長だった宮城清吉氏が「女子作業者がエアコンの効いた涼しい環境のなかで作業をしているのを見て、回りからずいぶん羨ましがられたものです」と語っていたのを思い出す。
前出の武蔵工場が近隣の小平市のキャベツ畑のなかに「トランジスタ研究所」として設立されたのも同年秋のことだ。 (日立製作所提供)