青色発光に魅せられた研究人生

 
2009年京都賞を受賞した赤崎氏(稲盛財団提供)

 ピカソが人間の苦悩を青で表現した「青の時代」に照らしていえば、発光ダイオード(LED)もまたそのさなかにある。
その青色LED時代の扉を最初に開いたのが、名城大学教授で名古屋大学特別教授を兼ねる赤崎勇氏だった。
 研究者の間では、青色発光の有力材料としてバンドギャップの大きい窒化ガリウムが知られていたが、融点がダイヤモンド並みに高いため結晶の製作が難しく、やがてセレン化亜鉛が多数派を占めるようになっていた。こんな状況のなかで赤崎氏は得意のエピタキシャル膜成長技術を用いればクラックや凹凸のない高品質の窒化ガリウム薄膜がえられる、と考えた。1981年5月にはMIS構造を用いて発光効率0.12%、光度2ミリカンデラの青色LEDを試作している。
 これでは実用化に程遠いと考えた赤崎氏は、次なるステップとしてサファイア基板上に窒化アルミによる緩衝層を形成し、それを介して高品質の窒化ガリウム膜を成長させた。これによりサファイアと窒化ガリウムとの間にあった熱膨張係数のミスマッチが解消され、高輝度発光への足がかりができた。1985年のことだ。この手法の考案には当時名大の大学院生だった天野浩氏(現名大教授)が寄与し、日米での特許が成立している。
 さらにPN接合型の素子化でも、マグネシウム添加の窒化ガリウムに電子線を照射することで、この問題に突破口を開いた。
 写真は2009年京都賞を受賞した赤崎氏。「40歳代の初めから青色光に魅せられた研究人生だった」とこもごも語った。2011年にはエジゾン賞の受賞に続いて文化勲章受章の栄誉に浴した。
その後、同氏は、2014年にノーベル物理学賞を授与された。

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