エサキダイオードは主流に非ず(?)
写真A 1968年夏に行われた座談会風景
写真B 青木昌治東大教授との対談を掲載した「電子材料」1973年10月号(拡大可能)
江崎氏との付き合いは、早くも40年以上を数える。最初の出会いは「電子材料」創刊間もなくの1968年夏、高木昇東京大学宇宙航空研究所長らとの座談会を企画した時のこと。当時、江崎氏が日本に帰国されるのは2年に一度程度で、日本の土を踏むと超多忙の人なった。ようやく時間が取れたのは米国に帰着される当日の早朝、帝国ホテルの一室だったように思う。
座談会や対談は、この他にも三度ほど行っているが、うち一度は偶然にもノーベル賞受賞直前の1973年8月末、半導体物性が専門で江崎氏と昵懇の青木昌治東大教授との対談が行われている。対談の席上、江崎氏が「日本の半導体産業は米国を追い上げているのに、日本がイニシアチブをとった研究成果はあまりありませんね」と指摘されたので、「エサキダイオードがあるじゃありませんか」と水を向けると、「いや、あれは本当のメインストリームではありませんので…」との答え。
その2ヵ月後には栄えある受賞が決まったのだから、バーナード・ショーならずとも、「世の中わからないものです」。
写真Aは1968年夏に行われた座談会風景。左から高木昇、江崎玲於奈、今井哲二の各氏。
写真Bは青木昌治東大教授との対談を掲載した「電子材料」1973年10月号。