「超格子」誕生の聖地
写真A(左) 分子線エピタキシー装置 写真B(右)同装置の裏面で、液体窒素で分子線発生室を冷却
写真C オージエ電子分光装置(分解能10Å)を用いて結晶成長のメカニズムを調べる江崎氏
江崎氏が1960年にIBMワトソン研究所に移籍した際、「エサキダイオードの研究を離れて、米国でしかできないようなスケールの大きな研究をしたい」という思いがあった。その思いが結実したのが「超格子」というまったく新しい概念の提唱(1970年)である。
私は氏のノーベル賞受賞直後の1974年5月、ワトソン研究所を訪問して超格子の研究室をつぶさに見学した。なかでも圧巻だったのは、半導体超格子作製のために自前で開発した分子線エピタキシー装置である。この装置は、高真空中で薄膜の原料となるガリウムなどの分子をビーム状にして基板に吹き付けることで、基板と結晶面の向きがそろった結晶成長を実現できる。それもコンピューターを駆使して分子ビームのシャッター開閉を制御しているため、膜厚などをナノオーダーの高精度でコントロールできるのが取り得である。
当時の日本ではこの種の装置は望むべくもなく、わずかに学会の発表論文などを通して情報を取得していた。
写真Aはコンピューターによって制御された分子線エピタキシー装置。システムAと呼ばれていた。
写真Bは同装置の裏面で、液体窒素で分子線発生室を冷却している。
写真Cはオージエ電子分光装置(分解能10Å)を用いて結晶成長のメカニズムを調べる江崎氏。SHEED、イオンスパッタリング銃などとともにシステムBと呼ばれていた。