IBMのFS構想、電電公社を走らす
電電公社の総務理事で技師長の北原安定氏
米IBM社がLSI採用の3.5世代機「370シリーズ」の後継機種として「フューチャーシステム(FS)」構想を練っているとの情報が伝わったのは1973年秋頃のことだ。その基幹技術となる半導体もLSIの次だからスーパーLSIかジャイアントLSIだろうということになって大騒ぎになった。
最初に反応したのが当時の電電公社で、74年春には富士通、NEC、日立製作所のメーカー3社と対応策の検討に入り、9月には具体的な方針を取りまとめている。74年10月に米沢滋総裁が訪米したのは、それを踏まえた上でのもので、AT&T傘下のベル電話研究所を訪ねている。帰国後直ちにゴーサインが出て、直ちに研究開発体制の整備に着手、翌75年2月には前記3社と共同開発に関する調印を済ませている。
電電公社にあって同計画の総指揮にあたったのが、総務理事で技師長の北原安定氏。将来の総裁候補と目されたカリスマ的人物だったが、直接会った印象では写真のように技術屋の面目躍如としていて、「われわれは今、コンピューター思想の革新に直面している」と熱っぽく語った。
75年度から3カ年に200億円投入する計画についてただすと、「電電公社のプロジェクトとしては確かに規模が大きいが、将来の画像通信などを考えると不可欠な投資」と答えが返ってきた。
超LSIという用語は、この開発計画の作成にあたった豊田博夫氏(後に武蔵野電気通信研究所長)が初めて使ったとされる。