半導体工場からヒトが消えた!
組立工程から人が消えた松下電子工業の長岡工場
ICの生産が量産時代に入った1970年代当時、米国メーカーは労働集約的な組み立て工程をこぞってアジア地域に移した。これに対して日本メーカーの多くはワイヤボンディング工程にパターン認識技術を導入するなどして後工程の全自動化を推進、信頼性の向上とコスト低減を図った。新聞には「半導体工場からヒトが消えた!」といった文字が躍った。
当時、松下電子工業の長岡工場でそんな工場風景を見た。写真のような自動ワイヤボンダーが100台ほど並んだ工場には、リードフレームのマガジンを処理する作業者が10人ほどいる程度で、案内にあたった藤本一夫副社長(後に社長)が「少し前までは、この辺はIC工場の銀座通りといわれていたんですがね」と語ったのを覚えている。そして「自動化の効果は、むしろ生産性より信頼性の方が大きい。その辺が日本メーカーの強みになっているのかもしれません」とつけ加えた。