日米合作の「4004」
写真A 世界初のマイクロプロセッサー「4004」
写真B マイクロプロセッサーの発明で第13回京都賞を受賞した4人の開発グループ (拡大可能)
(中央4人の右から1人目が嶋氏、3人目がHoff氏)
会社設立2年後にDRAM市場への本格進出を果たしたIntel社は、さらに翌1971年に世界初のマイクロプロセッサー「4004」(写真A)を発表して話題を呼んだ。
そのきっかけになったのが、日本の中堅電卓メーカー、ビジコンの開発依頼だった。同社の小島義雄社長は、電卓の開発競争が激化するなかで、「同じようにLSIを使っても、メモリー内のプログラムを入れ換えれば異なった電卓製品ができるのではないか」と考えた。そのためには大型計算機の場合と同様に、ソフトウェアをメモリーに格納するストアード・プログラム方式を採用すればよい。そう考えた氏は、Fairchild時代から懇意にしていたNoyce氏がIntelを設立、新製品の開発に意欲を示していることを知って、そんなLSIの開発を依頼した。
新しいLSIを開発するため69年6月、同僚の3人と米国西海岸に向かったのが東北大学理学部で化学を専攻した嶋正利氏だった。
一方、Intel側でこれに対応したのが、コンピューターアーキテクチャーに詳しいM.Hoff氏。スタンフォード大学で電気工学を学び博士号を取った切れ者だったが、最初は電卓回路の複雑さに手を焼いた。だが嶋氏らとの議論を重ねながら、やがてビジコン側の仕様書を踏まえた論理設計を見事にこなした。
仕上がったのは二進法(ビジコン側の仕様では十進法だったが)にもとづく4ビット素子で、3×4 mm角のチップに約2300個のトランジスタを集積したものだった。
写真Bはマイクロプロセッサーの発明で第13回京都賞を受賞した開発グループ(中央4人の右から1人目が嶋氏、3人目がHoff氏)。 ( 写真A:米Intel社提供、写真B:稲盛財団提供)