Kilby vs. Noyce
図A(左) フリップフロップ回路を集積化したKilby特許 図B(右) プレーナーICに関するNoyce特許
(A,Bとも拡大可能)
図Aはフリップフロップ回路を集積化したKilby特許で、1959年2月に出願されている。メサ型トランジスタ、バルク抵抗、拡散キャパシターなどから構成され、配線は金線のボンディングによっている。
図BはプレーナーICに関するNoyce特許で、1959年7月に出願されている。酸化膜を絶縁物として用い、蒸着金属で配線を形成している。
ところで、この2つの特許をめぐって両者は激しく争った。世に言う「キルビー対ノイス訴訟事件」で、決着をみるまでにかれこれ10年近くの歳月を要した。
争点になったのは、素子間の相互接続方法。
キルビー特許によれば「電気的接続のためには金のワイヤを使う代わりに、ほかの方法を採用することも可能である。例えば・・・・シリコン酸化膜を半導体回路ウェハーに蒸着させる。・・・・次いで金などの材料を『酸化物の』上に置いて必要な電気的接続を図る」とつけ加えられ、最初につくった自らのICの形態をやや拡張したものになっている。
これに対してノイス特許は、「従来の方法によれば、電気的接続は・・・・ワイヤを直接“コンポーネント”に結びつけなければならなかった。・・・・本発明により、リード線を“コンポーネント”そのものと同時に、同じ方法で付着することができる」と記述し、より今日のICに近いものになっている。
結論だけをいえば、最後に明暗を分けたのは、それぞれの特許に使われている「上に置く(laid down)」と「付着する(adhere)」という用語の解釈だった。特許権上訴裁判所が1969年に最終的に出した判決は、「キルビーは“置く”という用語が電子ないし半導体技術の上で、つねに付着を意味していた・・・・あるいは、その後意味するようになったことを証明していない」と、Noyce側に軍配を上げた。これを不服としたKilby側は最高裁に再審理を求めたが、結果は「却下」であつた。
にもかかわらず、双方がICの発明に一定の権利を保有するようになったのは、最後の判決が出る前の1966年夏、両社が裁判の決着とは別にその旨をあらかじめ合意していたからだ。