磯子キャンプに駐留していたHolonyak
写真A Bardeen先生から鳩山道夫氏宛のHolonyak氏の紹介状
写真B Holonyak氏と菊池氏の議論の場面を伝える写真
第2次大戦後間もなくスタートした日本の半導体研究開発には、しばしば戦後ならではの“特異”現象が顔をのぞかせる。
1962年、米General Electric社の研究所で世界初の発光ダイオード(LED)を開発したNick Holonyak氏が、その数年前の56年当時、兵役で横浜の磯子キャンプに駐留していたという話もその例外ではない。
以下は電気試験所時代、突然、当のHolonyak氏の訪問を受けたという菊池誠氏の証言。
「彼はイリノイ大学でトランジスタ発明者の一人、Bardeenから学んだ最初の学生。そのBardeen先生から私の上司の鳩山道夫氏宛の紹介状(写真A)を持って私の所を尋ねてきた。兵役義務を済ませるため、ベル研究所を辞して米軍の一員として進駐しているという話だった。以後、土曜日になると時々顔を見せるようになり、顔を見せると半導体の議論になった。こんないきさつを米国の資料に紹介したのが写真Bで、日付は1956年11月12日、シリコントランジスタについて議論した、とある。しかし、彼が持てる情報をすべて明かしたかというと、さに非ずで、後年私に繰り返しこう話したものだ。『あの時点では、ベルのJ.
Mollのグループが開発したメサトランジスタについては厳重な箝口令が敷かれていた。そのため、友人である君にまでそれを隠さねばならなかった』」。 (菊池誠氏提供)