「半導体」に着目した日本の先覚者たち

 
「電気通信学会雑誌」に掲載された八木秀次論文(拡大可能)

 日本における半導体研究は、第2次大戦直後、ベル電話研究所におけるトランジスタ発明の成果を受けて本格化する。しかし、日本の学会誌に「半導体」という術語が登場するのは大正時代のこと。なかでも論文名にずばり半導体を使ったのが岡部金治郎の「半導体の電導度測定上に現はれる金属板の影響」で、「電気学会雑誌」の1925(大正14)年6月号に掲載されている。岡部は陽極分割型マグネトロンの発明者として知られる。
 トランジスタの出現など全く想像だにしなかった時代に半導体の将来性を的確に予見しているのが、写真に示した八木秀次論文。1938(昭和13)年5月号の「電気通信学会雑誌」に掲載されたもので論文名こそ「電子管の将来」だが、内容的には「新しい物理学の理論並方法を以て研究しますと(半導体のような)材料が非常な勢いで進歩する。是は近い将来のことでありませう。さうすれば電子管などは革命的の何か変更を余儀なくされて来るものと信じております」などとポスト電子管時代をはっきり見通したものになっている。
 八木といえば、八木アンテナの発明者で、日本に「弱電工学」(今日のエレクトロニクスを指す)の基礎を築いた大恩人。時代の先を読む「先覚者」だったことは間違いない。

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