第1展示室
バック・ツー・ザ・フューチャ・半導体

本コンテンツは2006年7月12日から2008年1月9日まで21回にわたり、半導体産業新聞に寄稿された記事をウェブ用に再編集したものです。

半導体との出会い

私が自分の生涯の仕事として「半導体をやろう」と決意したのは、1955年である。半世紀以上も前のことであるが、それ以来文字通り「半導体一筋」で今日に至っている。

ゲルマニューム・トランジスタで躍進

私が最初に取り組んだ半導体製品は、ゲルマニューム・トランジスタであった。今ではどこでも作っていないので、博物館でしかお目にかかれない代物である。しかし・・・

米国の技術に学ぶ

私が、日立に入社して半導体の仕事を始めたのは1959年(昭和34年)であったが、その頃の日米間の技術格差は、相撲に例えれば横綱と十両ほどの開きがあり、・・・

IC が発明された背景

今回のタイムマシーンは1950 年代の後半にさかのぼって、IC が発明された頃の社会的な背景とそのドラマチックな展開について述べる。

LSI 時代の幕開け ― アット驚く日立の人事 ―

ジャック・キルビーによって1958年にICが発明され、フェアチャイルド社によって61年に商用化されてから、その技術革新のテンポはまことに目覚しく・・・・

電卓が築いた半導体黄金時代

半導体産業の発展過程において、電卓が果たした役割は計り知れないものがある。電卓はLSI商用化の時代を拓き、CMOS技術の先導役を果たし、しかも・・・・

オイルショックのインパクト

1973年秋の中東戦争勃発をきっかけに起こったオイルショックについては、読者の方も何らかの形で記憶に残っているのではないだろうか? 例えば・・・・

メモリ・マイコン時代の到来

1970 年代の前半、電卓がLSIを牽引した時代はオイルショックと共に過ぎ去り、その後に新しく開けたのがメモリ・マイコンの時代である。この分野はその後長い期間にわたって・・・・

高速CMOSでインテルに挑戦

半導体ほど激しく揺れ動く産業分野は他に無いかもしれない。比較的短い期間に押し寄せる好況と不況のサイクルに加えてさらに長い周期で大きな構造的な転換が起こり、大不況を・・・・

DRAMで世界初制覇

DRAMの分野においては1970年に1Kビットの製品(1103)がインテルによって開発されて以来、三年ごとに世代交代がなされるという形で激しい競争が展開された。それは国や企業の・・・・

メモリで大躍進

1980年代の前半は、日立半導体にとって電卓用LSI時代(70年代前半)以来の新しい黄金時代となった。DRAM、SRAM、EPROMの最先端の世代で世界トップの地位を・・・・

日米半導体戦争火を噴く

1984年は世界の半導体市場が活況を呈し、対前年伸び率は実に48%増にも及んだ。この年は丁度ロサンゼルス・オリンピックの年に当たり、「オリンピックの年には・・・・

標準化とカスタム化のサイクル「牧本ウェーブ」

半導体産業においては市況が過熱して、かんかん照りの日和が続いた後で、一天にわかに掻き曇り土砂降りの雨のような不況に変わることが時として起こる。

マイコン裁判

1989年は元号が昭和から平成に変わった年であるが、日立の半導体事業の体制も新たな転機を迎えることとなり、私の半導体人生にも予期せぬ変化が起こったのである。

日立半導体第三の黄金期

日立の事業経営の中で他社に比べて特にきわだっている点は厳しい「予算制度」である。毎年の上期、下期ごとに、各事業部・工場で売上高、収益、投資額、人員などについて詳細な予算を立て・・・・

日米半導体協定の終結交渉

1996年は日本半導体業界にとっても私自身にとっても多難の幕開けとなった。前年の好況から一転、大不況の年となったのだ。しかも10年前に締結された日米半導体協定の最終年に当たっており、・・・

二段階降格

1995年に半導体事業部長職を後進に譲ってからしばらくの間、半導体は好調を維持しており、新体制にとっても順調な船出となった。私は半導体トップの座をよい形で・・・

提言書「日本半導体の復活」

半導体分野における相対的な競争力をみる指標の一つは世界市場におけるシェアである。もちろん、それが唯一の指標ではないが、長期のトレンドとして競争力を・・・・

日立からソニーへ

2000年6月22日。私の半導体人生に大きな転機をもたらす日がやってきた。この日の夕刻、自宅で食事をしていたときに、ソニーの出井伸之さん(当時社長)ご本人から電話が入ったのだ。

日米半導体の盛衰

半導体ほど技術革新が激しく市場の振れ幅の大きな産業は、ほかに例を見ないのではないだろうか。その激しさゆえに昨日の勝者は今日の敗者となり、あたかも平家物語の・・・

がんばれ!ニッポン半導体

「バック・ツー・ザ・フューチャ半導体」の連載も今回で21回となり、完結の運びとなった。最終章はいわば日本半導体への応援歌として締めくくりたい。