超LSIプロジェクトの影の演出者

 
「超LSI技術研究組合」の火付け役になった田中昭二東京大学教授

 電電公社のプロジェクトを追うような形でスタートしたのが通産省(当時)主導の「超LSI技術研究組合」である。同プロジェクトには富士通、日立製作所、三菱電機、NEC、東芝の5社が参加、これに電子技術総合研究所を加えた共同研究所が超LSIの開発に取り組んだ。1976年度から4年間に投入された資金は約700億円に達し、うち290億円が政府補助金でまかなわれた。
 同プロジェクト推進の火付け役になったのが、日本電子工業振興協会で電子材料マネジメントボードを率いていた田中昭二東京大学教授。74年12月にまとめた「超高密度集積回路について」と題したリポートには、日本が超LSIの開発に早急に取り組むべきことと、関連企業が協力して取り組むべきことが切々と訴えられていた。
 田中氏は後年、「当時の日本はやっと1KビットのDRAMの生産が軌道に乗ったばかりなのに、米国からは1Mビットの話が伝わってきた。1Kと1Mでは3ケタの違いだから微細加工も一筋縄にはいかない。この技術を手中にするには国家プロジェクト以外に道はない、と考えた」と私に語っている。
 田中氏は1988年から超電導工学研究所所長として超電導開発の国家プロジェクトを指揮することになるが、写真はその当時に撮影したもの。

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