日本半導体歴史館検索ページ


応用製品

1950年代

1955年8月:日本初のトランジスタラジオ(TR-55)の発売(ソニー)
重量560g、トランジスタは5石、電源は単3乾電池4本を使用。サイズ(89mm×140mm×38.5mm)の小型化に成功し、まったく新しいスタイルのラジオとして世の中に出た。 トランジスタラジオとして世界初の発売はリジェンシー(米)であったが、商用としては国内外で初めての大ヒットとなった。この大ヒットを契機に国内各社も参入し、 花形輸出商品となった。この成功は、TV,VTR、ウォークマン等の民生品の半導体化へとつながり、日本は民生電子王国となる。また、半導体産業の立ち上がりのきっかけとなった 垂直統合モデルの先駆的な事例となり、今日にいたっている。

1955年:日本初のトランジスタ式電子計算機を開発(電気試験所)
通産省工業技術院電気試験所は、日本初のトランジスタ・コンピュータとしてETL MarkVを1956年に完成。これに力を得て、1957年11月にはMarkW、さらに、磁気ドラムの改良や、 開発されたばかりの磁心記憶装置の採用により演算速度を数十倍に向上させたMarkWAを完成。主要部品として接合型トランジスタ 470個を使用。 東京大学のパラメトロン計算機PC-2が出現するまで国産最高の演算速度を誇り、我が国での電子計算機の商業化の見通しをつけた。

1958年:トランジスタ式計算機の完成、実用化へ(NEC)
日本電気は同社初のトランジスタ式計算機NEAC-2201を完成。同機は、電気試験所のETL MARK IVを基本として、構成は計算機本体,コンソールおよび紙テープ穿孔タイプライタと光電式紙テープ読み取り機の入出力機、 磁気ドラムを内部記憶装置からなっている。ゲルマニウム合金型高速トランジスタを回路素子とし,完全に国産部品によって製作された点に特長があった。

↑TOPへ



1960年代

1960年:トランジスタ式白黒テレビの発売(ソニー)
ポータブルテレビに取り組んだソニーは、1960年5月に8型の白黒テレビ「TV8-301」を世に出した。“TV8-301”には、シリコンとゲルマニウムを合わせて、23石のトランジスタと、ダイオードが19個、小型高圧整流用真空管が2個使われている。新たに開発された9種類のトランジスタが、水平偏向用や映像出力用、チューナー用などに使われた。

1962年:5インチ型マイクロTV発売、大ヒット(ソニー)
ソニーは、8型の白黒テレビ「TV8-301」を更に小型、高性能にした5インチのマイクロテレビ「TV5-303」を発売した。「TV5-303」は、1962年10月1日にニューヨークにショールームを開設し発表した結果、 瞬く間にアメリカ中にブームを巻き起こした。

1964年3月:日本初の電子式卓上計算機の発売(シャープ)
シャープ(当時は早川電機)が1964年3月に発表したわが国最初の電卓CS-10Aは、世界で最初のオールトランジスタ型の電卓といわれている。価格は53万5000円と車が買えるほど高価なもので、重量も25kgあった。 CS-10Aはトランジスタを530個、ダイオードを2300個使用している。

1966年:世界初のIC電卓の開発に成功(シャープ)
電卓へのIC活用で他社をリードしたのがシャープ。シャープは1964年に開発した最初の電卓 CS-10Aを改良し、1966年テンキータイプの電卓CS-20Aを制作し、また、同年世界初のバイポーラ型ICを使用した電卓CS-31Aを、 翌年MOS型ICを使用したCS-16Aの開発に成功する。

1967年:世界初のICラジオの発売(ソニー)
世界初のIC搭載ラジオICR-100は、トランジスター14個にダイオード4個、抵抗14個の内容を持つIC CX-001を採用し、マッチ箱に匹敵するサイズと重量90gの超軽量ボディを実現。 バッテリーは充電式のニッカド電池対応で、1回14時間の充電により、約6時間の連続使用が可能だった。

1969年:業界初のオールトランジスタカラーTVの発売(日立)
日立製作所が、業界初の15型オールトランジスタカラーテレビCF-570TUの量産に成功。以降、全機種トランジスタ式へ移行することとなった。 この15型のオールトランジスタカラーテレビは、ブラウン管のヒーターを電源のオフの時に予熱し電源をポンと入れるとパッと映像がつくという「ポンパ」というニックネームで当時、大ヒット製品となった。

1969年:世界初の電子式腕時計(アストロン)の発表(セイコー)
セイコーが世界初のクォーツ式腕時計『アストロン(35SQ)』を発表。腕時計サイズに水晶振動子と時計用IC、ステッピングモータを搭載。その性能は、月差±5秒、日差±0.2秒(当時機械式時計:日差20秒) の当時では超高精度なものだった。発振回路・分周回路・駆動回路は、セラミック基板上に手作業でトランジスタ76個、コンデンサ29個などをハンダ付けしてハイブリッドICとして構成されていた。

1969年:世界初のLSI電卓(マイクロコンペットQT-8D)の発売(シャープ)
シャープは計算機をより小さくかつ安くするため目標をMOS型LSI使った電卓の開発に取り組もうとしたが、国内外ICメーカーはシャープの要請に応じようとしなかった。 その中で、米国Rockwell社のアイストン社長はシャープの提案を受け入れ、3百万のLSIを3000万ドルで供給する契約を結び、シャープは1969年世界で最初のLSI電卓QT-8Dを製造することに成功した。 QT-8Dは大ヒットし、両社に莫大な利益をもたらした。

↑TOPへ



1970年代

1973年:世界初の液晶電卓の発売(シャープ)
1年半の開発期間を経てシャープは"COS-LCD"タイプの新しい電卓 EL-805 を発売する。COSはCrystal-on-Substrate若しくはCalculator-on-Substrate の略で1枚のガラス基板上に表示、回路、キー接点等全機能を 一体化したものであり、当時非常に高度な総合技術を必要とした。EL-805は、世界で始めてCOS-LCD を活用することにより単3電池一本でなんと100時間も使用することを可能となり爆発的なヒットとなった。

1974年:電子腕時計「カシオトロン」を発売、増産へ(カシオ)
1974年11月、フルオートカレンダー(大の月・小の月の調整が不要)機能を搭載したデジタルウオッチ「カシオトロン」が発売。水晶発振器のパルスをカウントするカウンター、つまり 「1秒1秒の足し算を行なっている簡単な加算器」と考え、電卓で培ったLSI技術を最大限に活用した。

1975年:カラーVTRが各社より、次々に発売(ソニー、日本ビクター)
ソニーのベータマックス1号機(SL-6300)は、1975年5月10日に発売された。これ以前の家庭用VTR規格はいずれも本格的な普及を見なかったが、ベータマックスのヒットにより家庭用VTR市場が開拓され、 その初期段階では相応のシェアを占めていた。日本ビクターは、1976年10月にVHS第1号ビデオデッキ(HR-3300)を発売。当時の金額で定価25万6000円。 留守番録画のできる時計内蔵の専用取付式タイマーは別売1万円で、VHSの録画テープも当初は120分が6000円となっていた。

1975年:マイコンシステム開発のためのトレーニングキットのTK-80発売(NEC)
NECの半導体事業部が1976年8月3日に販売。高価な端末装置を必要としないという点がアマチュアの目に留まり、TK-80は当時ちょっとしたマイコンブームとなり、その後の8ビットパソコン (国産では、NECのPC-8000シリーズ、日立のベーシックマスター、シャープのMZシリーズなど)に続いていった。CPUは、Intelの8080A互換のNEC製マイクロプロセッサμPD8080A、256バイトROMのμPD454D、1KビットのS-RAM等を使用していた。

1978年:世界初の実用化CCDビデオカメラXC-1を商品化(ソニー)
ソニーは世界で最初の2チップカラーカメラの商品化を発表した。このXC-1は、全日空のスカイビジョン用として、スーパージャンボ“ボーイング747” に搭載され、大きな反響を呼んだ。

1979年7月1日:携帯型ステレオカセットプレーヤー ウオ―クマン、大ヒット(ソニー)
ウォークマン(WALKMAN)は、ソニーが1979年7月1日に発売。所を選ばず、いつでもどこでも音楽を聴くことのできる製品の登場は画期的な出来事であり、世界的な大ヒット商品として、 ヘッドホンステレオの代名詞となるなど社会現象になるほどであった。

↑TOPへ



1980年代

1982年:パソコンの国民機PC-9801の発売(NEC)
NECのパソコンの主力商品として、全盛期には圧倒的な市場占有率を背景として、「国民機」と呼称された時代もあった。初代機「PC-9801」はCPUに16bitのNEC製μPD8086 (Intel8086互換)5MHz、割り込みコントローラ等にIntelの8086ファミリチップを採用したため、1981年に発売されたIBM PCに似た構成となった。

1982年:世界初のCDプレーヤの発売(ソニー)
世界初のCDプレーヤー「CDP-101」は、トランジスタやダイオードなど半導体をたくさん使っていたD/Aコンバーターを悪戦苦闘の末、1個のICに集約、また信号処理用の約500個のICも、わずか3個のLSIに集約することに成功した末の技術の結晶。

1982年:世界初の液晶TVの発売(エプソン)
1982年、エプソンが世界で初めて液晶ディスプレイ(反射型1.2型)を使用したテレビ付きデジタル時計を販売。その後1984年には、TFTカラー液晶(透過型2.1型)を採用したポケットテレビ(商品名:テレビアン)を販売した。

1983年7月15日:家庭用ゲーム機ファミコンの発売(任天堂)
マルチソフト型家庭用ゲーム機「ファミリーコンピュータ」を14800円で発売。中央演算装置(CPU)は価格の面から8ビットに決定。当時アップルコンピューターに使われていたCPU-6502を選択。 画像処理用のチップ(PPU)には専用ICをリコーが開発。

1984年:マイクロピエゾ方式プリンター「IP-130K」の発売(セイコーエプソン)
1984年6月に、ピエゾ素子を用いてインクを押し出す方式(マイクロピエゾ方式)を用いたノンインパクトプリンタとしてエプソンで初めて商品化され、インクジェットプリンタ「IP-130K(海外市場ではSQ-2000)」として発売。 印字ヘッドは120μm厚のピエゾ素子を用いた。

1985年:初代ハンディカムCCD-M8の発売(ソニー)
1985年発売、8ミリビデオの録画専用機「CCD-M8」がハンディカムの第1号機である。再生機能を省き、レンズは単焦点、ファインダーも光学式にして小型化を実現した。 CCDは25万画素のアナログ方式。重量は1.1kg。「片手でアクション」をうたい、ビデオカメラ撮影をコンパクトカメラ感覚で扱えるところまで層を拡大した。

1986年:世界最小最軽量VHS-Cビデオムービー「GR-C7」の発売(日本ビクター)
重さ1.3Kgの録画再生可能なビデオカメラ一体型ビデオ。現在のビデオムービー普及の火付け役となった。CCDイメージセンサーやVTRメカの小型化などの技術進歩をもたらした。

1989年:携帯型ゲーム機「ゲームボーイ」の発売(任天堂)
子供にも大人にも、そして世界中で販売された。発売価格は12,800円の低価格。単3アルカリ電池4本で35時間使用可能。CPUには、Z80を搭載し、ソフトウェアの供給媒体には、ロムカセットを採用している。 また、表示画面には、160×144ドットの4階調モノクロ液晶(シャープSTN液晶)を備えている。本体サイズは、縦148×横90×厚さ32mmで、重さは約220gである。同時発売ソフトは 「スーパーマリオランド」「テニス」 「ブロック崩し」。(ソフトの値段は2,600円〜と極力抑えられた。)

1989年:パスポートサイズ8mmムービの発売(ソニー)
「ハンディカム」の愛称で親しまれた8ミリビデオカメラCCD-TR55。790gという超計量化を実現し、“パスポートサイズ”のキャッチフレーズは一世を風靡した。最新技術をおしみなく投入し、旅行が手軽に記録できる時代を作った。 ソニーのトランジスタラジオ第1号機TR-55のシリアルナンバーが冠されている。

↑TOPへ



1990年代

1990年:ファミコンの後継機種スーパーファミコンの発売(任天堂)
型番はSHVC-001(SHVCはSuper Home Video Computerの略)。メーカー希望小売価格は25,000円で販売。16ビットCPU 「5A22」は 65C816互換,のカスタム製品、グラフィック「S-PPU」、ソニーのDSPによるPCM音源等を搭載し、 カタログスペックとしては同時代の一線級のものを取り揃えていた。

1990年:GPSカーナビゲーションシステムの発売(マツダ、三菱)
マツダが三菱電機と共同開発したGPS式カーナビを搭載した「ユーノス・コスモ」を発売。民生用のカーナビが登場しはじめた頃には、GPSによる電波航法と自らのセンサー類に基づく自律航法が組み合わせられ、 さらにCD-ROMに記録された道路地図情報を必要に応じて読み出し、自車走行経路の情報と照合する事で、正確に自車位置を特定するマップマッチングという方式も取られていた。 センサ、マイコン、グラフィック処理用LSIの発展で搭載機器が増大していった。 なお、GPS方式以前に1981年ホンダがジャイロ式カーナビを発売し、2代目アコードに搭載されている。

1991年4月:ムーバ発売(NTT)、本格的携帯電話の市場投入
超小型携帯電話「ムーバ」(TZ-804前期)が、松下、NEC、富士通、三菱より1991年4月に発売。これより以前はレンガやブロックのように大きくて重たいものであったが、半導体の革新的な進歩により、服のポケットに収まるサイズになり、 市民の圧倒的な支持を受けることになった。

1992年:再生専用ポータブルMDプレーヤー「MDウォークマン」の発売(ソニー)
1992年に初代の「MDウォークマン」が発売。日本では編集のしやすさから一定のシェアを獲得することができたが、ミニディスク自体、ソニーオリジナルのATRACという圧縮音源を採用しているため、 他の規格との互換性がなくワールドワイドでは普及しなかった。その後、再生専用のポータブルMDプレーヤーMZ-E10は、「MZ-1」を発売してから10年後の2002年11月10日に発売され、価格はオープンプライス。 ピックアップメカやモーターを新開発したことで、本体厚9.9mm、55g(内蔵電池含む)という業界最小、最軽量を実現した。音質面では、MDウォークマンとして初めてデジタルアンプを採用。

1993年:世界発のプラズマディスプレイの商品化(富士通ゼネラル)
1992年に富士通が世界で初めてプラズマディスプレイを使用したテレビを開発。1993年に富士通ゼネラルがプラズマビジョンの名のもとに世界で初めてプラズマディスプレイを商品化(21インチサイズ)し、 1996年には世界初となる業務用42インチフルカラーPDPを開発した。1997年にはパイオニアから50インチのワイド型プラズマテレビが発売され、以降パナソニック、日立などが参入し、 日本メーカがプラズマテレビを牽引した。

1993年:Newton(アップル)、 液晶ペンコム「ザウルス」<PI-300> (シャープ)
1993年8月アップルが初代Newton を発売した。同じ年の10月、シャープは液晶ペンコム「ザウルス」PI-300を発売した。アップルのNewton とシャープのザウルスは、手書き認識機能と外部接続機能を有する携帯型情報機器で、 個人情報端末(Personal Digital Assistant )と呼ばれる製品ジャンルの代表的な製品となった。

1994年:ハイビジョンTV“HDトリニトロン”の発売(ソニー)
家庭用36型ワイド画面のハイビジョン映像対応カラーテレビ“HDトリニトロン”カラーテレビKW-3600HD。従来テレビの約2倍の1125本の走査線を採用。高精細な画面を実現した次世代テレビ。 フルスペックMUSEデコーダーを搭載。業務用ハイビジョン関連機器は1984年に販売しているが、生活照度下での高精細と高輝度を両立させた家庭用向けとした民生用ハイビジョンテレビ。

1994年:家庭用ゲーム機プレイステーション(PlayStation)の発売(ソニー)
1994年12月3日に株式会社ソニー・コンピュータエンタテインメント(SCEI)より発売。1990年代初頭までワークステーションに搭載されていたMIPSアーキテクチャの32ビットRISC CPU 「R3000」を独自にカスタマイズしたものを メインCPUに採用。また3DCGの描画を支える数値演算専用LSI (GPU) を別途搭載するなど、当時としては高性能なポリゴンによる3Dグラフィックスを比較的簡単にプログラミングできることが特徴。開発コードネームは「PS-X」。 ソフトウェア媒体として採用したCD-ROMは従来の家庭用テレビゲームで用いられていたROMカートリッジと比較してデータへのアクセス速度が劣るが、 大容量、低価格、量産時間の短縮といった利点があり、コンピュータゲームの表現方法から流通にまで幅広く影響を与えた。

1995年3月:デジタルカメラQV10の発売、大ヒット(カシオ)
カシオが「QV-10」を定価¥65,000と当時としては破格の値段で発売されたこの機種は、歴史に残る大ヒットモデルとなった。「QV10」をヒットさせたカシオの功績は大きく、ここから一般向けのデジカメの発売が相次いだ。

1996年:DVDプレーヤーの発売(ソニー)
DVD(ディーブイディー、Digital Versatile Disc(デジタルバーサタイルディスク))とはデジタルデータの記録媒体である光ディスクの一種であり、家庭用のDVDプレーヤーの販売は1996年に開始された。 光ディスクは、これまで波長の短い半導体レーザーが開発されるごとに、CD、DVD、BDへと大容量化が進みました。ちなみに音楽CDは波長が780nm(ナノメートル)、DVDは650nmの赤色レーザーを使っている。 2000年にDVD-Video再生対応のゲーム機「プレイステーション2」(当初の標準価格は39800円)が発売されてからそれまで高価だったDVDプレーヤーの低価格化が進み、DVDソフトの普及が一気に進んだ。

1996年:ハンドヘルドPC(H/PC)カシオペア (カシオ)
カシオは1996年11月 北米で携帯情報端末カシオペアを、翌年にはその日本語版を発売した。カシオペアはマイクロソフト社のWindows CE を搭載し、携帯情報端末Handheld PC のコンセプトに準拠した製品で、Windows 95 との親和性やキーボード入力が特徴である。ビジネス用途を中心にその強みを発揮した。

1997年:ハイブリッドカーの発売(トヨタ)
トヨタ自動車がプリウスを1997年10月に発売。パナソニックEVエナジー製ニッケル・水素蓄電池を搭載。エンジンを一定の低燃費回転域で動作させ、遊星歯車機構によって速度調整と充電をおこない、 低速走行時・加速時・電力余剰時に電動モーターを使用する動力分割方式ハイブリッドを初めて搭載。高耐圧、大電流のパワーエレクトロニクス、マイコンが数多く適用されている。

1999年:iモードサービス開始(NTTドコモ)
1999年2月22日、その後の携帯電話ビジネスを大きく飛躍させ、日本人の生活をも大きく変革させたiモードサービスがスタートした。最初のモデルは富士通のデジタル・ムーバ F501i HYPER 。 携帯電話端末で通話のみならず、メールやインターネットも利用できる画期的な携帯端末として注目を浴びた。

1999年:ネットワークウオークマンの発売(ソニー)
1999年に初代機種が発表されたソニーのメモリースティックウォークマンは、新開発のATRAC3を唯一の対応コーデックとしていた。メモリースティックウォークマンは後のネットワークウォークマンと呼ばれるようになるが、 既存のMP3ファイルとの互換性も良くなく、市場からの受入は芳しくなかった。

1999年:世界初のDVDレコーダーの発売(パイオニア)
1999年12月 にパイオニアが世界初のDVDレコーダー「DVR-1000」を発売。DVD-RW方式対応。価格は25万円。 2000年頃 から米国でTiVoやReplayTVといったHDDレコーダーが登場し始める。 日本ではソニーが2001年に「Clip-On」を発売し、のちに「チャンネルサーバー」「Cocoon」という製品にバージョンダウンしたのが特に有名。画像信号処理LSI、半導体レーザー等の半導体技術が発展に寄与した。

1999年 自律型ロボット、AIBOの発売 (ソニー)
ソニーが、1999年6月、世界初の家庭用エンターテインメントロボットのAIBOの発売を開始した。日本では、3000体が発売後20分で完売という予想を上回る反響を得た。その後2000年6月までにかけて発売された。

↑TOPへ



2000年代

2000年:DVD再生機能のある「プレイステーション2(PS2)」の発売(ソニー)
2000年3月4日にSCEから噂のDVD再生機能とPS用ソフトの互換性を付けて発売。圧倒的人気を得た。プレイステーションの後継機として開発され、発売から3日で98万台の販売台数を記録。 2005年11月には全世界で1億台の生産出荷台数を記録。Graphics Synthesizerは、当時としては大容量のDRAMを用いたDRAM混載LSIの先駆け的存在であり4MBのDRAMをチップ内に形成している。 CPUは128ビット“Emotion Engine”294.912MHz (0.25μmプロセス)、メインメモリは32MB(Direct RDRAM)などで構成されている。

2001年11月18日:非接触ICカード(Suica等)の利用開始
2001年11月18日、東日本旅客鉄道が関東圏424駅で日本初の非接触ICカード乗車券Suicaの利用を開始。技術的には、ソニーが開発した非接触型ICカード技術である「FeliCa」を採用している。

2001年:W-CDMAモバイル各社より発売(NTTドコモ)
NTTドコモとNokiaやEricssonなどの欧州の携帯電話機器メーカーによる共同開発であり、欧米やアジア各国で採用されている。日本ではNTTドコモの「FOMA」、ソフトバンクモバイルの「SoftBank 3G」、 イー・モバイルで採用されている。採用しているダイレクト変換方式(ホモダイン方式)は、ベースバンド帯と無線周波数帯とを直接直交変調、直交検波する方式であり、IF段のフィルタが不要になることや、 シンセサイザが送受各1個で実現できるようになることから、回路の小型化、集積化が容易になった。本技術の採用が可能となった理由としては、SiGe-BiCMOSなどのアナログ半導体プロセスの進化がその1つであるが、 W-CDMAを採用したことでダイレクト受信機の実現が容易になったことも関係している。

2001年:Apple 社よりデジタルオーディオプレーヤー「iPod」発売
最初のiPodはMacintosh専用のデジタルオーディオプレーヤーとして2001年10月24日に発売され、「iTunesのライブラリに収めた音楽を外へ持ち出す」というコンセプトで開発されており、 「まずiTunesありき」である点が、先行していた他のデジタル音楽プレイヤーとははっきり異なる。iPodの第一世代から第三世代には、心臓部であるCPUとして2つのARM 7TDMI(動作周波数90MHz)が使われた。 それに対して、後期モデルは同じバッテリー容量でより長時間駆動させるために、CPU使用率に応じて周波数が動的に変化するスピード・チップ(最高周波数80MHz)が使われた。最新の第五世代iPodで使用されているCPUは、 PortalPlayer社製のPP5021というデジタルプレイヤー向けのチップである。

2002年:世界最速の「地球シミュレータ」が完成
2002年3月、NEC、宇宙開発事業団、日本原子力研究所及び海洋科学技術センターの共同チームにより、 地球環境問題解決のための世界最高速スーパーコンピュータが完成し、「地球シミュレータ」用超高速ベクトル並列計算機の本体納入を完了した。

2003年:世界初のブルーレイディスクレコーダーの発売(ソニー)
ソニーは2003年4月10日に片面1層記録(23.3GB)対応のBDレコーダー「BDZ-S77」を発売。405nmの青紫色半導体レーザーと0.1mmのカバー層の光ディスクを使うことでレンズのNA値を (0.65から0.85に)上げ、DVDの5倍以上の記録容量(1層25GB、2層式ディスクの場合は50GB)を実現している。

2004年:デジタル一眼レフカメラの発売(オリンパス)
オリンパスから発売されたオリンパス E-330がデジタル一眼レフカメラとして初めてフルタイムライブビュー機能を実現した。 これまで培ってきた一眼レフカメラ開発のノウハウとイメージセンサーや画像処理技術などデジタル技術の融合が行われデジタル一眼レフカメラが開発された。 これにより、老舗カメラメーカーが電子機器大手に買収されたり、独自のイメージセンサー技術を持つメーカーがクローズアップされるなど、戦国時代の様相を呈してきた。 イメージセンサーにはパナソニック製の有効750万画素のLiveMOSセンサを採用し、さらに光学ファインダー経路にコンパクトデジタルカメラ用の1/2.5型500万画素CCDを搭載することで実現した。

2005年:日本初のカプセル内視鏡、EU圏で販売開始(オリンパス)
オリンパスは、2005年、高画質の小型カメラを内蔵した日本初のカプセル内視鏡をEU圏内で販売を開始した。

2006年:高精細画質のプレステーション3(PS3)の発売(ソニー)
プレイステーション及びプレイステーション2の後継機として開発された。ライバル機であるXbox 360の発売から1年遅れること2006年11月(日本・北米)と2007年3月(欧州・豪州)に発売された。 ソニー、パナソニックなどが共同して開発した光ディスク規格であるブルーレイディスク、高品質なデータ転送が行えるインタフェースであるHDMIの採用、1920×1080の高精細の解像度に対応するなど、 世界的な高精細度テレビジョン放送の移行に伴う形で進化が図られた。また、プレイステーション3の頭脳的役割を果たすCell Broadband Engine(東芝製)は複数の処理を並列的にこなすことで 非常に高速かつ高度な処理を行うことが可能となった。

2007年:FPD採用の超大型テレビを各社発売
日本では、2007年に液晶TVとプラズマTVを主力とする薄型TVが各社より続々と登場しはじめ、従来のブラウン管TVからの置き換えが進行し、本格的な普及期に入った。

2008年:iPhone3Gを世界に発売 (アップル)
アップルは、2007年6月にスマートフォンの先駆けとなる初代iPhoneをGSM端末として米国内で発売し、その1年後の2008年8月に第3世代移動通信システムに対応するiPhone 3Gを、日本を含む世界22地域で発売した。

2000年代後半:電気自動車開発競争が激化
慶應義塾大学の電気自動車研究室が開発したエリーカでは、既に370km/hの最高速と4.1秒の0-100km/h加速が達成されており、内燃機関車両に比べシンプルな駆動系で高い動力性能が引き出せることを実証している。 1990年代以降の電気自動車の性能の向上(および量産ハイブリッドカーの登場)には、電源であるバッテリーの性能向上のほかにも、電気エネルギーの使用効率を高められるインバータによる可変電圧可変周波数制御と いった、パワーエレクトロニクスの発達による要素も大きい。以前のものと比べ高性能な電気自動車を作れる可能性が出たため、再び電気自動車を見直す動きが見られ、開発を宣言する自動車メーカー (富士重工業・三菱自動車工業など)も現れている。トヨタはハイブリッドカーのバッテリーを大幅に大容量化し、外部からの充電を可能とするプラグインハイブリッドを開発中。

↑TOPへ



2010年代

2010年代:産業用無人ヘリコプター(ドローン)の実用化(ヤマハ発動機、他)
1987年に世界初の産業用無人シングルローターヘリコプター「R-50」を商品化し、農薬散布など、産業応用の途を開いたヤマハ発動機は、2016年に、水冷4サイクル390ccエンジンを搭載し、ペイロード(搭載重量)35kgで、80-100分の飛行可能な「FAZER R G2」を発売した。インマルサット静止衛星通信を介して、1700km離れた場所からの遠隔操作も可能で、離島、山間僻地への荷物運搬など、用途を拡げている。
2014年にDJI(大疆創新科技有限公司)が発売したマルチローターヘリコプター「PHANTOM」は、カメラドローンとして人気となり、「ドローン」という名前が一気に広まった。ドローンは、ホビー使用が多いが、農業(農薬散布、生育観察)、土木建築(構造物点検、測量)など産業用としても広く活用されている。

2010年:タブレットPCの登場
2010年にアップルコンピュータからiPadがリリースされ、これを皮切りにタブレット型の携帯情報端末が一般向けに数多くリリースされ、日本では一大市場を形成するように至った。

2011年:世界初の自律行動制御技術を「ASIMO」に搭載(ホンダ)
ホンダが開発した2011年11月 8日に発表された新型ASIMOは3人が同時に発する言葉を認識することができるようになり、予め設置された空間センサの情報を基に人の歩く 方向を予測し衝突を避けることが可能となった。また、身体能力の向上により片足けんけんや両足ジャンプなどが連続して実行することが可能となった。

2011年:スーパーコンピュータ「京」が「TOP500」で世界トップを獲得(理研・富士通)
世界の高速コンピュータ・システムの上位500をランク付けするプロジェクトである「TOP500」において、「京」が2011年に世界ランキング第1位を獲得した。 また、2015年には、大規模グラフ解析の性能を評価する「Graph500」でも世界第1位を獲得した。

2014年:次世代電力計、スマートメーターの導入がスタート
2014年、大手電力10社は次世代電力計(スマートメーター)を2024年度までに全世帯に配布する方針を固めた。対象は約8000万世帯。 電気の使用状況を30分ごとに把握できるスマートメーターを使うことによって家庭は節電がしやすくなる。

2015年:感情機能搭載の人型ロボット「Pepper」を本格導入(ソフトバンク)
ソフトバンクグループは、2014年6月に、世界初の感情認識パーソナルロボット「Pepper(ペッパー)」を発表し、ロボット事業を本格的に展開することになった。

2015年:スーパーコンピュータ「Shoubu(菖蒲)」が、「Green500」で世界一位を獲得(理研など)
2015年6月、理化学研究所および(株)ExaScaler、(株)PEZY Computingが共同で設置したスーパーコンピュータ「Shoubu(菖蒲)」が、電力性能比(速度性能値/消費電力)を競うスーパーコンピュータ・ランキング 「Green500」において、日本初の世界第1位を獲得した。

↑TOPへ


【最終変更バージョン】
 2022/10/17